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「神の栄光を現す」とは

...whether you eat or drink, or whatever you do, do it all for the glory of God. (1 Corinthians 10:31)

・・・あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント10:31)


今回は、「神の栄光を現す」というのは、具体的には何を意味するのかを考えてみたいと思います。上記の英訳を読むと、「食べる場合であろうが、飲む場合であろうが、何をする場合でも、それをみな、神の栄光のためにしなさい」と書いてあります。日本語で「栄光」と訳される"glory"という語をOxford Dictionary of Englishで引くと、"praise, worship, and thanksgiving offered to God"、つまり、「神にささげられる賞賛(ほめたたえること)、賛美(崇拝)、感謝」と定義されています。ですから、「神の栄光のために」というのは、「神にささげられる賞賛、賛美、感謝のために」ということになります。

ではどうしたら、「神にささげられる賞賛、賛美、感謝のために」何かをすることができるのか、という疑問がわいてきます。この疑問を解決するのにいい方法は、新改訳聖書の引照を利用することではないかと思います。2つの聖句が引照されていますが、まず、1つ目を読んでみましょう。

...whatever you do or say, do it as a representative of the Lord Jesus, giving thanks through him to God the Father. (Colossians 3:17)

あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)

英訳の"representative"というのは「代理人」のことです。コウビルド英英辞典には、"a person who has been chosen to act or make decisions on behalf of another person or a group of people"(他の人またはあるグループの人々のために、行動または決定をするために選ばれた人)という定義が書いてあります。英訳は、「何をするにしても、何を言うにしても、主イエスを通して父なる神に感謝をささげながら、主イエスの代理人としてそれをしなさい。」という意味です。私たちが「神の栄光を現す」ことができるのは、「主イエスを通して父なる神に感謝をささげながら、主イエスの代理人として」何かをした場合、ということになります。「主イエスの代理人」というと大変なことのように聞こえますが、「主イエスのために何かをする」ために神によって選ばれた者として行動しなさい、ということです。主が力を与えてくだされば、このことは可能だと思います。

もう一つの引照も読んでみます。

Do you have the gift of speaking? Then speak as though God himself were speaking through you. Do you have the gift of helping others? Do it with all the strength and energy that God supplies. Then everything you do will bring glory to God through Jesus Christ. (1 Peter 4:11)

語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。(1ペテロ4:11)


英訳の部分を精読してみたいと思います。"gift"というのは、神から与えられた賜物、才能のことです。"supply"は「供給する」と訳されることもありますが、この文脈では「与える」という意味です。この英文を最初から直訳してみますと、「語る(話す)才能(賜物)を持っていますか?それなら神ご自身があなたを通して語っておられるかのように語りなさい。他の人々を助ける(手助けする)才能を持っていますか?神が与えてくださっている力とエネルギーのすべてを使ってそれ(助けること)をしなさい。そうすれば、あなたのすることすべてが、イエス・キリストを通して神に栄光をもたらすでしょう。」となります。要するに、神に与えられた力とエネルギーのすべてを用いて(全力を尽くして)、才能(賜物)を生かすことが、神の栄光を現すこと、つまり、神がほめたたえられ、賛美、感謝されることにつながる、というわけです。

私の場合、このブログの管理・運営や、外国語教授法の研究(私の専門)を、私に与えられた力とエネルギーのすべてを用いてやっていくことが神の栄光を現すことにつながる、ということがわかりました。以前、「タラントのたとえ」をご紹介したときにも書きましたが、神から与えられた賜物(才能)を最大限に生かすことが、主が私たちに望んでおられることなのですね。
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【2009/05/09 21:01】 | 聖書 | トラックバック(0) | コメント(2)
愛の章(2)
前回は、コリント人への手紙第一の「愛の章」を何回かに分けて読む、という予告をしたのですが、よく読んでみると、分けにくいということがわかったので、今回だけで読みたいと思います。前回も引用したのですが、今回も同じ箇所を引用してから解説していくことにします。

Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged. It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out. Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。


日本語で「寛容」と訳されている"patient"という単語は、「辛抱強い」とか「忍耐強い」と訳される単語ですが、正確に言うと、「遅延や、問題や苦しみを、いらだったり、不安になったりせずに受け入れるか耐える」という意味です。英訳の次の文の"jealous"は、「嫉妬を感じる」という形容詞、"boastful"も形容詞で「自慢する」ということです。次の"proud"という形容詞は多義語で、ポジティブな意味もありますが、ここではネガティブな意味で、自分が他の人々よりも優れている、と感じている状態を指します。"rude"は"polite"の対義語で、"impolite"の類義語です。他者に対して無作法だ、ということです。

次の文、"It does not demand its own way."は、わかりにくいですが、"demand"は「要求する」ことですので、直訳すると、「愛はそれ自身の道(やり方)を要求しない」ということになります。"New International Version"では、"it is not self-seeking"と訳されています。"self-seeking"というのは、「他者よりも自分自身に利益を与えるようなことをすることだけに関心を持つ」という意味ですので、こちらの方がわかりやすいですね。

次の文の"irritable"は、簡単にいらだったり、おこったりするような性質を表します。"keep no records of being wronged"の"keep no record of"は「~を記録しておかない」ということで、"being wronged"の"wrong"という動詞は、「(人を)不当に扱う」ということですので、このフレーズは、「不当に扱われたことを記録しておかない」、つまり、「不当に扱われてもそのことを記憶にとどめておかない」ということだと解釈できます。

次の文に出てくる動詞の"rejoice"は、ただ単に「喜ぶ」のではなく、「大いに喜ぶ」ことです。"injustice"は、「不正、不公平」。"win out"は「戦いのあとに成功したり、他者に勝ったりする」ことです。「愛は不正を大いに喜ぶことはないが、真理が勝利したときはいつでも、大いに喜ぶ。」

最後の文は、「愛は決して諦めず、決して信仰を失わず、いつも希望を抱き、すべての状況を通して耐え忍ぶ」と直訳できます。

三浦綾子氏は「光あるうちに」という著書で、今回引用した箇所の「愛」を「私」に変えてみるように、とアドバイスしています。私がやってみたら、「私は寛容であり」にしたとたんに、全く当てはまらないことに気がつきました。人からは"patient"だとよく言われますが、いつでも「遅延や、問題や苦しみを、いらだったり、不安になったりせずに受け入れる」かどうかは非常に怪しいです。皆さんも試しに、「愛」を「私」に変えてみてはいかがでしょうか。

今週の土曜日までに、時間の余裕があれば、1回更新できるかもしれません。もし無理だったら、次回の更新は6月25日以降になります。

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【2009/05/05 11:21】 | コリント人への手紙 第一 | トラックバック(0) | コメント(0)
英語と日本語で聖書を読む


英語の聖書と日本語の聖書(新改訳)の両方について、私なりに理解したことや、聖句によって教えられたことなどを書いていくつもりです。読者の皆さんにとっては、英語の勉強にもなると思います。

プロフィール

crape myrtle

Author:crape myrtle
企業の英語研修や、成人対象の英会話クラスなどの講師をしています。2006年の4月から本格的に聖書を読み始めました。聖書は英語で読んだほうが日本語で読むよりも理解しやすい場合が多いような気がします。

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