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苦難のしもべ(序章)

See, my servant will act wisely;
he will be raised and lifted up and highly exalted.
Just as there were many who were appalled at him-
his appearance was so disfigured beyond that of any man
and his form marred beyond human likeness-
so will he sprinkle many nations,
and kings will shut their mouths because of him.
For what they were not told, they will see,
and what they have not heard, they will understand. (Isaiah 52:13~15)

見よ。わたしのしもべは栄える。
彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
多くの者があなたを見て驚いたように、
―その顔立ちは、
そこなわれて人のようではなく、
その姿も人の子らとは違っていた―
そのように、彼は多くの国々を驚かす。
王たちは彼の前で口をつぐむ。
彼らは、まだ告げられなかったことを見、
まだ聞いたこともないことを悟るからだ。(イザヤ52:13~15)


先日、このブログでイザヤ書53章を取り上げてほしい、というリクエストがありました。それで、今回から5回にわたってイザヤ書53章を読んでみたいと思います。といっても、今回取り上げた箇所は53章ではなく、52章の終わりなのですが、これには訳があります。実は、このブログでイザヤ書53章を取り上げる予定だということをある方にお話ししたところ、その方が『イザヤ書第53章』(エドワード・J・ヤング著、榊原康夫訳、いのちのことば社)という本を貸してくださいました。その本に「イザヤ書第52章末尾の3節は、第53章への序論をなしている・・・イザヤの使信の核心を正しく理解したければ、始めるべき個所は第52章13節からである。」と書いてありましたので、それに素直に従い、52章の終わりの3節から読み始めることにしました。実際、新改訳聖書を見ると、第52章13節から第53章の最後までに「苦難のしもべ」というタイトルがつけられており、New International Versionの英訳聖書でも全く同じ箇所に"The suffering and Glory of the Servant" (しもべの苦難と栄光)というタイトルがつけられていますので、第52章13節から第53章の終わりまでを1つのまとまりとして考えるのが適当ではないかと思います。なお、新改訳聖書の注釈によると、この「しもべ」はキリストです。

まず、英訳の1行目を読んでみましょう。直訳すると、「見よ、わたしのしもべは賢く行動するであろう」ですが、脚注には"See, my servant will prosper"(見よ、わたしのしもべは栄えるであろう)が別訳だと書かれています。日本語訳は、この別訳の解釈を反映したものだと思われます。新改訳聖書の注には、別訳として「敬虔にふるまう」「賢くふるまう」と書いてありますが、この「賢くふるまう」は英訳すると"act wisely"になります。なお、日本語で「しもべ」と訳されている英語の"Servant"は"serve"(仕える)という動詞の派生語ですから、「仕える者」という意味で、"my servant"は「わたし(神)に仕える者」ということです。

2行目の"he will be raised and lifted up"は、日本語訳では「彼は高められ、上げられ、」となっていますが、"raise"はここでは"lift up"とほぼ同じ意味だと考えていいと思います。次の"exalt"という動詞には2つの意味があります。1つ目は、"praise”とほぼ同じ意味で、「賞賛される」ということ、2つ目は、「高い地位に上げる」という意味です。"exalt"は1つ目の意味で使われることのほうが多いのですが、ここでは2つ目の意味で、"he will be...highly exalted"は直訳すると、「彼は非常に高い地位に上げられるであろう」です。

3行目の"appall"は単に「驚かせる」という意味ではなく、「仰天させる」または「ぎょっとさせる」のようなマイナスのイメージが強い語です。3行目を直訳すると、「彼を見て仰天した者が多くいたように」になります。なお、この行の最後の"him"は原語では"you"に当たる語だそうで、日本語訳で「あなた」になっているのはそのためだと思われます。なぜ多くの者が「しもべ」を見て仰天したのかは、―(ダッシュ)ではさまれている次の2行で説明されています。4行目の"appearance"は外見、"disfigure"は"figure"(形)をそこなうことです。"that"はここでは"appearance"を指しますから、この行の直訳は、「彼の外見は、どんな人の外見よりももっとそこなわれていた」になります。次の行の"form"は「形状、姿」、"mar"はここでは"disfugure"と同じで「だめにする、そこなう」ということです。"likeness"は"similarity"の類義語で、「似ていること」です。"his form"と"marred"の間の"was"は省略されています。この行は前の行と大体同じ意味で、「彼の姿はそこなわれて人のようではなくなっていた」ということです。

6行目の"sprinkle"というのは、コウビルド英英辞典によると、"If you sprinkle a thing with something such as a liquid or powder, you scatter the liquid or powder over it."(水または粉をふりかけること)で、前述の『イザヤ書第53章』という本では「注ぐ」と訳されています。この「注ぐ」は「清め洗う」事を表しているそうです。"will"は倒置で主語の"he"の前に出ています。この行の直訳は、「そのように彼は多くの国々に(水を?)ふりかける(注ぐ)であろう」ですが、「彼は多くの国々を清めるであろう」と解釈できるようです。実はこの行には、"so will many nations marvel at him"という別訳があり、これはは「そのように多くの国々は彼を見て驚くであろう」という意味です。"marvel"は「不思議だと思って驚く」という意味の語で、プラスのイメージです。日本語訳はこの別訳の方を採用していると思われます。

7行目は「そして王たちは彼のために(彼が原因で)口を閉ざすであろう」で、日本語訳の「彼の前で」とは少し違うニュアンスになっています。次の行から最後までは、「なぜなら彼らが言われなかったこと(告げられなかったこと)を、彼らは見、彼らが聞いたことがないことを、彼らは理解することになるからだ」で、日本語訳とだいたい同じです。"what they were not told"は"see"の目的語ですが、倒置で前に置かれています。次の行の"what they have not heard"も"understand"の目的語ですが、強調のために前に置かれています。

次回は、53章の1~3節を取り上げます。いつ更新できるかはまだわかりませんが、読んでいただければ大変嬉しいです。
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【2008/09/21 17:16】 | イザヤ書53章 | トラックバック(0) | コメント(0)
タラントのたとえ

For everyone who has will be given more, and he will have an abundance. Whoever does not have, even what he has will be taken from him. (Matthew 25:29)

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。(マタイ25:29)


これは、マタイの福音書25:14~30の「タラントのたとえ」(The Parable of the Talents) と呼ばれるたとえの1節です。私が持っている新改訳聖書の注解によると、このたとえでは、神からの賜物を活用する者と活用しない者とが対比されている、ということです。「タラント」というのは古代ギリシャ、ローマ、中東で使われていた重量及び貨幣の単位で、英語の"talent"(natural aptitude or skill, the natural ability to do something, 生まれつき持っている適性、技能、才能)の語源です。

マタイ25:14~30を要約しますと、旅に出て行く人がしもべたちに財産を預けたとき、「おのおのその能力に応じて」、1人には5タラント、1人には2タラント、もう1人には1タラントを渡しましたが、5タラントを預かった者、2タラントを預かった者が、その金を運用してそれぞれさらに5タラント、2タラントをもうけたのに対し、1タラントを預かった者は地を掘って金を隠しました。主人は帰ってきたときに、預かった金を運用した2人のしもべをほめましたが、金を隠したしもべからは1タラントを取り上げ、5タラントを預かってさらに5タラントをもうけたしもべに与えました。このあとに、上記の聖句が続きます。

まず英訳の方を読んでみると、冒頭の"For"は、「なぜなら」という意味です。この節では、金を隠したしもべが1タラントの金を取り上げられ、合計10タラント持っているしもべがその金を与えられた理由が述べられているからです。"For"の後を日本語に直訳すると、「持っている者はだれでも、さらに多く与えられ、彼は、大量の物を持つ」となります。"abundance"は辞書では、"a large quantity of something"と定義されています。ここで使われている"will"は、「通常はそうなるものだ」という意味です。次の文の直訳は、「持っていない者はだれでも、持っている物さえも取り上げられる」です。

新改訳聖書の注釈によると、金を隠したしもべが断罪されたのは、神からの賜物を活用しなかったからだということです。つまり、神から与えられた才能、適性を活用する者は、その才能をさらに豊かにすることができ、反対に神から与えられた才能を活用しない者は、せっかく与えられた才能が衰えてしまう、ということだと思います。

このたとえにあるように、神様から、「よくやった。良い忠実なしもべだ」("Well done, good and faithful servant!") とほめてもらえるように、神様から与えられた賜物である才能を活用したいものですね。

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【2008/09/15 15:17】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(1)
英語と日本語で聖書を読む


英語の聖書と日本語の聖書(新改訳)の両方について、私なりに理解したことや、聖句によって教えられたことなどを書いていくつもりです。読者の皆さんにとっては、英語の勉強にもなると思います。

プロフィール

crape myrtle

Author:crape myrtle
企業の英語研修や、成人対象の英会話クラスなどの講師をしています。2006年の4月から本格的に聖書を読み始めました。聖書は英語で読んだほうが日本語で読むよりも理解しやすい場合が多いような気がします。

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