スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告
イザヤ書53章10~12

Yet it was the LORD's will to crush him and cause him to suffer,
and though the LORD makes his life a guilt offering,
he will see his offspring and prolong his days,
and the will of the LORD will prosper in his hand.
After the suffering of his soul,
he will see the light of life and be satisfied;
by his knowledge my righteous servant will justify many,
and he will bear their iniquities.
Therefore I will give him a portion among the great,
and he will divide the spoils with the strong,
because he poured out his life unto death,
and was numbered with the transgressors.
For he bore the sin of many,
and made intercession for the transgressors. (Isaiah 53: 10~12)

しかし、彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ53:10~12)

いよいよイザヤ書53章の最後の部分です。英訳の2行目の"cause him to suffer"は、新改訳聖書では「痛める」と訳されていますが、この英語は「彼を苦しませる」という意味です。英訳の2~4行目の意味は、日本語訳とはずいぶん違うように思われます。直訳すると、「そして主は彼のいのちを罪過のためのいけにえとしたが、彼は自分の子孫を見て、自分の日々(寿命)を延ばす(長くする)であろう、そして主のみこころ(意志)は彼の手の中で成し遂げられる("prosper"の文字通りの意味は「繁栄する、栄える」)。」となります。どちらの方がヘブル語の原文に近いのか、ぜひ知りたいところです。

英訳の次の2行も、日本語訳とはずいぶん意味が違うようです。この2行は、「彼の魂の苦しみのあとに、彼はいのちの光を見て満足するであろう」という意味です。もっとも、写本によっては"of life"は書かれていないそうですので、その場合は、「~彼は光を見て満足するであろう」となります。次の2行は日本語訳とほぼ同じ意味だと思います。

次の"Therefore"からも日本語訳とは意味が異なるところがあります。ここからを日本語に直訳してみますと、「それゆえ、わたしは偉大な者たちの間で彼に分け前を与えるだろう、そして、彼は強者たちといっしょに分捕り物を分け合うだろう。なぜなら彼は自分のいのちを死の上に注ぎ出し、そむいた人たちとともに数えられたからである。」となります。これはいったいどういうことなのか、と思いますが、私が借りている「イザヤ書第53章」という本にもはっきりしたことは書いてありませんでした。どなたか詳しい方がいらっしゃったら、ぜひこの部分の解釈をしていただきたいものです。

最後の2行も英訳と日本語訳では少しだけ意味が違います。英訳は"For"で始まっていますが、これは「なぜなら」という意味です。この2行を直訳すると、「なぜなら彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをしたからである。」となります。日本語訳の時制が現在であるのに対し、英訳は過去形になっています。いったいこの違いは何を意味するのでしょうか。

何だか疑問点だらけの説明になってしまいました。コメントを通して色々教えていただければ嬉しく思います。
スポンサーサイト

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2009/04/05 16:27】 | イザヤ書53章 | トラックバック(0) | コメント(0)
イザヤ書第53章 7~9節

He was oppressed and afflicted,
yet he did not open his mouth;
he was led like a lamb to the slaughter,
and as a sheep before her shearers is silent,
so he did not open his mouth.
By oppression and judgment he was taken away.
And who can speak of his descendants?
For he was cut off from the land of the living;
for the transgression of my people, he was stricken.
He was assigned a grave with the wicked,
and with the rich in his death,
though he had done no violence,
nor was any deceit in his mouth. (Isaiah 53: 7~9)

彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。(イザヤ53:7~9)


長らくご無沙汰しておりまして、誠に申し訳ございません。イザヤ書第53章の続きです。

日本語訳で、「彼は痛めつけられた」となっている1行目は、英訳でのように、「彼は圧迫された(押さえつけられた)」とするほうが正確だ、と私が今借りている『イザヤ書第53章』という本に書いてありました。”(He was) afflicted”は前回も書いたように「(彼は)苦しめられた」という意味ですが、日本語訳では2行目に「彼は苦しんだ」と書かれています。果たして原点のヘブル語では、受動態と能動態のどちらで書かれているのでしょうか。日本語訳と英語訳に違いがあるもう一つの点は、2行目が日本語では「・・・が、口を開かない。」と現在形になっているのに対し、英語訳では、”yet he did not open his mouth.”のように過去形になっていることです。それは5行目でも同様です。この違いには何か意味があるのでしょうか。

英訳の3行目以降を読んでみましょう。”slaughter”は、「屠殺、畜殺」のことですので、「ほふり場」とは違います。ちなみに、辞書を見てみると、”like a lamb to the slaughter”または”like lambs to the slaughter”というイディオムがあり、これはOxford Dictionary of Englishによると”as a helpless victim” (無力な犠牲者として)、コウビルド英英辞典によると”…they do what someone wants them to do without complaining or fighting” (不平を言ったり争ったりせずに、誰かがしてほしいと思っていることをする)という意味だそうです。もしかしたらこのイディオムは、聖書に由来しているのかもしれません。3行目の文字通りの意味は、「彼は子羊のように屠殺へと導かれた」です。4行目の”her”は直前の”sheep”を指しますので、この”sheep”は雌羊だということがわかります。”shearer”は羊毛を刈る人のことで、ここでは複数形になっています。4行目と5行目をまとめて日本語に直訳すると、「羊毛を刈る者たちの前の雌羊が黙っているように、彼は口を開かなかった」となります。

6行目の、日本語訳では「しいたげ」と訳されている単語は、英訳では”oppression”(圧迫)になっています。次の7行目が、日本語訳と英語訳では大きく違っている箇所です。”descendants”は「子孫」ですから、7行目を日本語に直訳すると、「だれが彼の子孫たちについて語ることができるのか」ということになります。お気づきのとおり、上記の新改訳聖書の日本語訳、「彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。」、とはずいぶん違います。『イザヤ書第53章』の解説によると、どうやら新改訳聖書の訳のほうが原文に忠実なようですが、どうしてここまで英語訳と異なっているのでしょうか。英訳の次の行、8行目は、7行目とつながっていて、「なぜなら彼は生ける者の地から絶たれたからだ」という意味です。次の行の”transgression”は、前回ご説明したように、「律法違反」のことで、この行は、「私の民の律法違反のために彼は打たれた」という意味です。

10行目の”assign”は「割り当てる」、”the wicked”は”wicked people”、つまり「悪者たち」という意味です。次の行の”the rich”も”rich people”のことです。10行目と11行目は、「彼は悪者たちと一緒に、そして彼の死において、富む者たちと一緒に墓を割り当てられた」という意味になります。最後の2行は10,11行目の続きですが、「彼は暴虐を行わず、彼の口には全く欺きもなかったが」で、新改訳の日本語訳とほぼ同じです。

次回はいよいよイザヤ書53章の最後の3節です。できるだけ早く更新したいと思っております。

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2009/03/29 21:40】 | イザヤ書53章 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦難のしもべ(イザヤ書第53章4~6節)

Surely he took up our infirmities
and carried our sorrows,
yet we considered him stricken by God,
smitten by him, and afflicted.
But he was pierced for our transgressions,
he was crushed for our iniquities;
the punishment that brought us peace was upon him,
and by his wounds we are healed.
We all, like sheep, have gone astray,
each of us has turned to his own way;
and the LORD has laid on him the iniquity of us all.

まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。


昨年の1月の記事の冒頭に、「明けましておめでとうございます」と書きましたが、その後しばらく更新できなかったため、3月下旬ごろに知人から、「いつまでも『明けましておめでとうございます』と書いてあるのはまずい。そろそろ更新した方がいいのでは?」というようなことを言われてしまいました。もしかしたら今年も同じパターンになってしまうのかもしれませんが、読んでいただければ大変嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

まず英訳の1行目から見てみましょう。句動詞の"take up"には意味がたくさんありますが、ここでは"accept"(受け入れる、引き受ける)の類義語です。"infirmity"は"physical or mental weakness"(肉体的または精神的な弱さ)という意味で、単に「病気」という意味ではありません。次の行の"carry"も多義語ですが、ここでは"accept"の類義語です。この2行を日本語に直訳すると、「確かに(本当に)彼(メシア)は私たちの弱さを自分の身に引き受け(受け入れ)、私たちの悲しみを自分の身に引き受けた(受け入れた)」というふうになります。英訳の4行目の"smitten"は"smite"という動詞の受動態ですが、"smite"は"hit (something) hard"(強く打つ)という意味です。前の行の"stricken"は"strike"の受動態で、"strike"は"hit"の類義語ですから、"stricken by God, smitten by him"というのは「神に打たれた」ということを言葉を変えて繰り返し述べていることになります。次の"afflicted"は「苦しめられた」という意味です。英訳の3行目と4行目を日本語に直訳しますと、「だが、私たちは彼が神に打たれ、神に激しく打たれ、苦しめられたのだと考えた」となります。

5行目の"transgression"は"transgress"という動詞の派生語ですが、"transgress"は"break a moral law or a rule of behavior"(道徳上の決まりあるいは行動の規則に違反すること)という意味だそうですので、いわゆる「律法」に違反することだと考えていいのではないかと思います。ですからこの行は、「しかし彼は、私たちの律法違反が原因で刺し通された」という意味になります。この"pierce"という動詞は、日本語の「ピアス」の派生語ですが、鋭いものを使って穴を開けることですので、キリスト(メシア)が十字架上で手首などに釘で穴を開けられたことを描写しているのだと解釈することができます。6行目は5行目と対になっているので、5行目と大体同じ意味だろうと見当がつきます。"crush"は厳密に言うと、押しつぶされて形が崩れたりばらばらになったりすることを意味します。日本語訳で「砕かれた」となっているのは妥当だと思います。"iniquity"は"immoral or grossly unfair behavior"(不道徳またはひどく不公正な行動)という意味ですので、6行目は「彼は私たちの不正な行為のために砕かれた」と直訳できます。次の2行を日本語に直訳すると、「私たちに平安をもたらした罰が彼の上にあり、そして彼の傷によって私たちは癒やされた」となりますが、前半をわかりやすく言い換えると、「彼に与えられた罰の結果、私たちに平安がもたらされた」ということです。

9行目の"go astray"は正しい道から外れた状態、道に迷った状態を表します。この行は、「私たちは全員、羊のように、道に迷っていた(正しい道から外れていた)」という意味です。次の行も大体似たような意味で、「私たちの1人1人が自分自身の道の方に向いていた」ということですから、日本語訳の「おのおの、自分かってな道に向かって行った」というのは適訳だと思います。最後の行の"lay (something) on (somebody)"は「(人)に責任を負わせる)」という意味ですから、この行を直訳すると、「それで主は、私たち全員の不正な行為(iniquities)の責任を彼に負わせた」というふうになります。

次回は、第53章の7~9節を読みたいと思います。ご意見、ご質問があれば、コメントをください。できるだけ早く、このブログ上でお返事します。

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2009/01/03 16:25】 | イザヤ書53章 | トラックバック(1) | コメント(2)
苦難のしもべ(イザヤ書第53章1~3節)

Who has believed our message
and to whom has the arm of the LORD been revealed?
He grew up before him like a tender shoot,
and like a root out of dry ground.
He has no beauty or majesty to attract us to him,
nothing in his appearance that we should desire him.
He was despised and rejected by men,
a man of sorrows, and familiar with suffering.
Like one from whom men hide their faces
he was despised, and we esteemed him not.

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。


最初の行を読んでまず浮かぶ疑問は、"our message"の"our"はいったいだれを指すのか、ということでしょう。「新改訳聖書」の注釈には、「預言者と彼を通して神のメッセージを聞いた人々」と書いてあります。預言者だけでなく、預言者から神のメッセージを聞いた人々も、ほかの人にそのメッセージを伝えたが、そのメッセージを信じた人は、非常に少なかった、という意味のようです。2行目の"the arm of the LORD"(「主の御腕」)の意味もわかりにくいと思います。聖書では、「腕」という語は活動力の比喩として使われるそうです。ここでは、「力」の同義語だということですので、2行目の英語訳を日本語に直訳すると、「だれに対して主の力は示された(表された)のか」になります。"reveal"は"show"の類義語です。1行目からのつながりを考えると、「神のメッセージを信じた人」=「主の力が示された(表された)人」と解釈することができます。

次の行を読んでみますと、"He grew up before him"の"him”はだれを指すのだろうかと思いますが、日本語訳では「主」と訳されていて、その解釈が正しいようです。この句に続く"like a tender shoot"の"tender"は植物に使われる場合、"easily injured by severe weather and therefore needing protection"(悪天候によって容易に傷むので、保護が必要である)という意味で、"shoot"は「若枝」または「新芽」のことですので、この行を日本語に直訳すると、「彼は主の前で、傷みやすい若枝のように成長した」というふうになります。これに続く、"like a root out of dry ground"は「乾いた地から出る根のように」という意味で、「彼」は悪条件の中で成長した、ということになります。この「彼」はメシアを指します。次の行の"majesty"は「威厳」と訳せますので、この行は、「彼には私たちを彼にひきつける美しさあるいは威厳はなかった」という意味です。その次は補足の部分です。"desire"は"want"の類義語で、"nothing"以下を日本語に直訳すると、「私たちが彼を求める気持ちを起こさせるようなものは、彼の外見には、何もない」となり、新改訳の日本語訳とは微妙にニュアンスが違うようです。

次は、「彼は人々から軽蔑され、拒絶された」で、それに続く「a man of sorrows"は「悲しみの人」ですが、"familiar with suffering"の"suffering"は、「苦痛」のことですから、「苦痛をよく知っている」という意味になります。"Like one from whom men hide their faces"の"one"は漠然としていますが、「人」または「者」のことで、"from whom"の"whom"の先行詞は"one"ですから、この行は、「人々が自分の顔を(その人から)隠す者のように」というような意味で、人々はその人を見たくないので、自分の顔をその人から隠すぐらいに、その人を忌み嫌っている、ということになります。次の行では"he was despised"が繰り返されています。「彼」の軽蔑のされ方は、彼を見たくないばかりに人々が自分の顔を隠すほどであった、ということだと思います。最後の"we esteemed him not"は見慣れない語順ですが、英語の詩ではこのような語順になることが時々あるようです。"esteem"はここでは動詞として使われていて、"respect, admire"(尊敬する、賞賛する)という意味ですから、これは、「私たちは彼を尊敬しなかった」と直訳できます。

以前更新したときからずいぶん間が空いてしまいましたが、次回はできれば年末までに更新したいと思っております。今回の続きの、4~6節を取り上げます。

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2008/12/26 16:14】 | イザヤ書53章 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦難のしもべ(序章)

See, my servant will act wisely;
he will be raised and lifted up and highly exalted.
Just as there were many who were appalled at him-
his appearance was so disfigured beyond that of any man
and his form marred beyond human likeness-
so will he sprinkle many nations,
and kings will shut their mouths because of him.
For what they were not told, they will see,
and what they have not heard, they will understand. (Isaiah 52:13~15)

見よ。わたしのしもべは栄える。
彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
多くの者があなたを見て驚いたように、
―その顔立ちは、
そこなわれて人のようではなく、
その姿も人の子らとは違っていた―
そのように、彼は多くの国々を驚かす。
王たちは彼の前で口をつぐむ。
彼らは、まだ告げられなかったことを見、
まだ聞いたこともないことを悟るからだ。(イザヤ52:13~15)


先日、このブログでイザヤ書53章を取り上げてほしい、というリクエストがありました。それで、今回から5回にわたってイザヤ書53章を読んでみたいと思います。といっても、今回取り上げた箇所は53章ではなく、52章の終わりなのですが、これには訳があります。実は、このブログでイザヤ書53章を取り上げる予定だということをある方にお話ししたところ、その方が『イザヤ書第53章』(エドワード・J・ヤング著、榊原康夫訳、いのちのことば社)という本を貸してくださいました。その本に「イザヤ書第52章末尾の3節は、第53章への序論をなしている・・・イザヤの使信の核心を正しく理解したければ、始めるべき個所は第52章13節からである。」と書いてありましたので、それに素直に従い、52章の終わりの3節から読み始めることにしました。実際、新改訳聖書を見ると、第52章13節から第53章の最後までに「苦難のしもべ」というタイトルがつけられており、New International Versionの英訳聖書でも全く同じ箇所に"The suffering and Glory of the Servant" (しもべの苦難と栄光)というタイトルがつけられていますので、第52章13節から第53章の終わりまでを1つのまとまりとして考えるのが適当ではないかと思います。なお、新改訳聖書の注釈によると、この「しもべ」はキリストです。

まず、英訳の1行目を読んでみましょう。直訳すると、「見よ、わたしのしもべは賢く行動するであろう」ですが、脚注には"See, my servant will prosper"(見よ、わたしのしもべは栄えるであろう)が別訳だと書かれています。日本語訳は、この別訳の解釈を反映したものだと思われます。新改訳聖書の注には、別訳として「敬虔にふるまう」「賢くふるまう」と書いてありますが、この「賢くふるまう」は英訳すると"act wisely"になります。なお、日本語で「しもべ」と訳されている英語の"Servant"は"serve"(仕える)という動詞の派生語ですから、「仕える者」という意味で、"my servant"は「わたし(神)に仕える者」ということです。

2行目の"he will be raised and lifted up"は、日本語訳では「彼は高められ、上げられ、」となっていますが、"raise"はここでは"lift up"とほぼ同じ意味だと考えていいと思います。次の"exalt"という動詞には2つの意味があります。1つ目は、"praise”とほぼ同じ意味で、「賞賛される」ということ、2つ目は、「高い地位に上げる」という意味です。"exalt"は1つ目の意味で使われることのほうが多いのですが、ここでは2つ目の意味で、"he will be...highly exalted"は直訳すると、「彼は非常に高い地位に上げられるであろう」です。

3行目の"appall"は単に「驚かせる」という意味ではなく、「仰天させる」または「ぎょっとさせる」のようなマイナスのイメージが強い語です。3行目を直訳すると、「彼を見て仰天した者が多くいたように」になります。なお、この行の最後の"him"は原語では"you"に当たる語だそうで、日本語訳で「あなた」になっているのはそのためだと思われます。なぜ多くの者が「しもべ」を見て仰天したのかは、―(ダッシュ)ではさまれている次の2行で説明されています。4行目の"appearance"は外見、"disfigure"は"figure"(形)をそこなうことです。"that"はここでは"appearance"を指しますから、この行の直訳は、「彼の外見は、どんな人の外見よりももっとそこなわれていた」になります。次の行の"form"は「形状、姿」、"mar"はここでは"disfugure"と同じで「だめにする、そこなう」ということです。"likeness"は"similarity"の類義語で、「似ていること」です。"his form"と"marred"の間の"was"は省略されています。この行は前の行と大体同じ意味で、「彼の姿はそこなわれて人のようではなくなっていた」ということです。

6行目の"sprinkle"というのは、コウビルド英英辞典によると、"If you sprinkle a thing with something such as a liquid or powder, you scatter the liquid or powder over it."(水または粉をふりかけること)で、前述の『イザヤ書第53章』という本では「注ぐ」と訳されています。この「注ぐ」は「清め洗う」事を表しているそうです。"will"は倒置で主語の"he"の前に出ています。この行の直訳は、「そのように彼は多くの国々に(水を?)ふりかける(注ぐ)であろう」ですが、「彼は多くの国々を清めるであろう」と解釈できるようです。実はこの行には、"so will many nations marvel at him"という別訳があり、これはは「そのように多くの国々は彼を見て驚くであろう」という意味です。"marvel"は「不思議だと思って驚く」という意味の語で、プラスのイメージです。日本語訳はこの別訳の方を採用していると思われます。

7行目は「そして王たちは彼のために(彼が原因で)口を閉ざすであろう」で、日本語訳の「彼の前で」とは少し違うニュアンスになっています。次の行から最後までは、「なぜなら彼らが言われなかったこと(告げられなかったこと)を、彼らは見、彼らが聞いたことがないことを、彼らは理解することになるからだ」で、日本語訳とだいたい同じです。"what they were not told"は"see"の目的語ですが、倒置で前に置かれています。次の行の"what they have not heard"も"understand"の目的語ですが、強調のために前に置かれています。

次回は、53章の1~3節を取り上げます。いつ更新できるかはまだわかりませんが、読んでいただければ大変嬉しいです。

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2008/09/21 17:16】 | イザヤ書53章 | トラックバック(0) | コメント(0)
英語と日本語で聖書を読む


英語の聖書と日本語の聖書(新改訳)の両方について、私なりに理解したことや、聖句によって教えられたことなどを書いていくつもりです。読者の皆さんにとっては、英語の勉強にもなると思います。

プロフィール

crape myrtle

Author:crape myrtle
企業の英語研修や、成人対象の英会話クラスなどの講師をしています。2006年の4月から本格的に聖書を読み始めました。聖書は英語で読んだほうが日本語で読むよりも理解しやすい場合が多いような気がします。

最近のコメント

最近のトラックバック

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

クリック募金

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2ブログランキング

内容がお気に召したら、押してください。

FC2ブログランキング

FC2カウンター

カテゴリー

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。