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あすのための心配は無用

...do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. Each day has enough trouble of its own. (Matthew 6:34)

・・・あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)


上記の英訳は、New International Version (NIV) からの引用ですが、参考までに、New Living Translation (NLT) の英訳もご紹介します。

...don't worry about tomorrow, for tomorrow will bring its own worries. Today's trouble is enough for today.


NIV、NLT の両方で、最初の部分は「明日について心配するな」と訳されていて、これについては説明の必要はないと思います。次の "for" 以下の部分は、NIV では「なぜなら、明日がそれ自身について心配するであろうから」と訳されていて、これは日本語訳の「あすのことはあすが心配します」と大体同じです。これだけでは何のことかわかりにくい、と思われる方が多いと思いますが、そのような方は NLT の英訳を読んでみるとよりよく理解できるかもしれません。NLT の英訳を日本語に直訳すると、「なぜなら、明日がそれ自身の心配を持ってくるであろうから」となります。最後の部分は NIV では、「それぞれの日がそれ自身の十分な労苦を持っている」と直訳できますが、これも日本語訳とほとんど同じです。ちなみに文語訳では、「一日の苦労は一日にて足れり」となっているそうです。これも少しわかりにくいかもしれませんね。NLT の英訳を見てみると、「今日の労苦は今日のためには十分です」というふうになっています。つまりは、「今日労苦しなければならないことが十分にあるのだから、明日のことまで心配するのはやめなさい」ということだと思います。

わかってはいても、ほとんどの人は将来のことを思い煩うのをやめることができないのではないかと思われます。全てを主にゆだねることのできるような信仰を持ちたいものです。
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【2010/07/07 21:06】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(0)
タラントのたとえ

For everyone who has will be given more, and he will have an abundance. Whoever does not have, even what he has will be taken from him. (Matthew 25:29)

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。(マタイ25:29)


これは、マタイの福音書25:14~30の「タラントのたとえ」(The Parable of the Talents) と呼ばれるたとえの1節です。私が持っている新改訳聖書の注解によると、このたとえでは、神からの賜物を活用する者と活用しない者とが対比されている、ということです。「タラント」というのは古代ギリシャ、ローマ、中東で使われていた重量及び貨幣の単位で、英語の"talent"(natural aptitude or skill, the natural ability to do something, 生まれつき持っている適性、技能、才能)の語源です。

マタイ25:14~30を要約しますと、旅に出て行く人がしもべたちに財産を預けたとき、「おのおのその能力に応じて」、1人には5タラント、1人には2タラント、もう1人には1タラントを渡しましたが、5タラントを預かった者、2タラントを預かった者が、その金を運用してそれぞれさらに5タラント、2タラントをもうけたのに対し、1タラントを預かった者は地を掘って金を隠しました。主人は帰ってきたときに、預かった金を運用した2人のしもべをほめましたが、金を隠したしもべからは1タラントを取り上げ、5タラントを預かってさらに5タラントをもうけたしもべに与えました。このあとに、上記の聖句が続きます。

まず英訳の方を読んでみると、冒頭の"For"は、「なぜなら」という意味です。この節では、金を隠したしもべが1タラントの金を取り上げられ、合計10タラント持っているしもべがその金を与えられた理由が述べられているからです。"For"の後を日本語に直訳すると、「持っている者はだれでも、さらに多く与えられ、彼は、大量の物を持つ」となります。"abundance"は辞書では、"a large quantity of something"と定義されています。ここで使われている"will"は、「通常はそうなるものだ」という意味です。次の文の直訳は、「持っていない者はだれでも、持っている物さえも取り上げられる」です。

新改訳聖書の注釈によると、金を隠したしもべが断罪されたのは、神からの賜物を活用しなかったからだということです。つまり、神から与えられた才能、適性を活用する者は、その才能をさらに豊かにすることができ、反対に神から与えられた才能を活用しない者は、せっかく与えられた才能が衰えてしまう、ということだと思います。

このたとえにあるように、神様から、「よくやった。良い忠実なしもべだ」("Well done, good and faithful servant!") とほめてもらえるように、神様から与えられた賜物である才能を活用したいものですね。

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【2008/09/15 15:17】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(1)
神の国と神の義

...do not worry, saying, 'What shall we eat?' or 'What shall we drink?' or 'What shall we wear?'...your heavenly Father knows that you need them. But seek first his kingdom and his righteousness, and all these things will be given to you as well. (Matthew 6:31~33)

...何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。...あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:31~33)



 今回特に考えてみたいのは、"seek first his kingdom and his righteousness" (神の国とその義とをまず第一に求めなさい)というのはどういう意味なのか、ということです。 

 "kingdom"は通常「王国」、つまり「王によって支配される国」を意味しますが、ODE(Oxford Dictionary of English)では以下のように説明されています。

the spiritual reign(支配) or authority of God

the rule of God or Christ in a future age



 これを読むと、"kingdom"は、「将来における神またはキリストの支配」を意味することがわかります。

 次に、「義」と訳されている"righteousness"というのは、どういう意味なのかを考えてみます。これは、"righteous"という形容詞の派生語ですので、"righteous"を辞書で引いてみましょう。コウビルド英英辞典には、"morally good"、ODEには、"morally right or justifiable"と書いてあります。つまり、"righteous"というのは「道徳的に正しい」という意味だということになります。
 ここで疑問がわいてきます。神が「道徳的に正しい」のは当たり前のことなのに、どうして神の道徳的な正しさを「まず第一に求めなさい」と言われているのでしょうか。こう考えると、「義」というのは単なる「道徳的な正しさ」ではなく、別のことを意味するのではないか、と思われます。
 『新改訳聖書』の注釈には、「神の義」は「神との正しい関係」を指す、と書かれています。それでは、「神との正しい関係」というのはどういうものなのでしょうか。
 『ブリタニカ国際大百科事典』で「義」を引くと、「義」は普通の倫理的な意味における「正義」とは異なり、唯一神の属性で、それにのっとることこそ人間の義なる(正しい)生活の規範、と書かれています。ただ、パウロによると、「神の義」はキリストを信じることにより、恩恵的に与えられるものとされています。
 ここまで調べた結果、「神の義をまず第一に求めなさい」というのは、「信仰によって恩恵的に神から与えられる義をまず第一に求めなさい」ということだとわかりました。

 まとめますと、上記の聖句は、「神の支配と、信仰によって神に義と認められる(義認)ことをまず第一に求めなさい。そうすれば、それらに加えて、衣食住の必要は満たされます」という意味になります。

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【2007/07/13 21:22】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(0)
第二の大切な戒め

Love your neighbor as yourself. (Matthew 22:39)

あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ。(マタイ22:39)


 これは、"Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind."(心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。)と同じくらい大切な戒めだと、イエス・キリストは言われています。それでは、あなた自身のように(as yourself)愛する、というのはどういうことなのでしょうか。次の箇所がヒントになります。この戒めを守っていると主張する青年に対して、イエスは次のように答えています。

Jesus answered, "If you want to be perfect, go, sell your possessions and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me." (Matthew 19:21)

イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マタイ19:21)


 ここでは、"perfect"というのは、本当に神に受け入れられる状態を指すそうです。次の"go"は、「行って」という意味ですが、日本語訳では「帰って」と訳されています。"sell"は、「売る」ですから、「持ち物のすべてを売る」という意味にはならず、これも、日本語訳の「売り払って」とは違います。
 つまり、本当に「あなたの隣人を、あなた自身のように愛」しているならば、自分の持ち物を売って貧しい人たちに与えることができるはずだ、とイエス・キリストは言っているわけです。これと似たようなことが、ヨハネの手紙第一にも書かれています。

16 This is how we know what love is: Jesus Christ laid down his life for us. And we ought to lay down our lives for our brothers. 17 If anyone has material possessions and sees his brother in need but has no pity on him, how can the love of God be in him? 18 Dear children, let us not love with words or tongue but with actions and in truth. (1 John 3:16~18)

16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:16~18)

 
 第一ヨハネ3:16については、以前このブログで解説したとおりです。3:17は、先ほど読んだ、マタイ19:21と、同じことを言っているのではないかと思いますが、どうでしょうか。3:18を読むと、愛とは、言葉ではなく、行い(actions)である、ということがわかります。

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【2007/04/18 21:40】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(0)
第一のたいせつな戒め
Jesus replied: "'Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind.' This is the first and greatest commandment.(Matthew22:37,38)

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。(マタイ22:37,38)

 「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」という問いに対する、イエス・キリストのお答えです。英語訳と日本語訳を比べてみると、"with all your heart and with all your soul and with all your mind"が、日本語訳では、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして」になっています。英語訳の"heart"は、「心」と訳されることが多い語ですが、これは喜怒哀楽の感情を指すときに使います。"soul"は"body"の対義語で"spirit"の類義語です。この語は「魂」と訳されることが多いですが、『ジーニアス英和大辞典』によると、厳密には、「魂が宿る心」だそうです。。ですから、もしかしたら、日本語訳の「心」に当たる語が英語訳では"soul"、「思い」が"heartと訳されているのかもしれません。"mind"は、ここでは"intellect"の同義語で、「知力」という日本語訳は的確です。
 最後の"commandment"は、「戒め」で、例えば、「十戒」は、英語では"the Ten Commandments"です。

 今回考えてみたいのは、「神を愛する」とはどういう意味か、ということです。それは、以下の聖句を読めば、わかってきます。
This is love for God: to obey his commands. And his commands are not burdensome,(1 John 5:3)

神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。(1 ヨハネ 5:3)

 最後の"burdensome"という形容詞は、「重荷」という意味の名詞の"burden"の派生語です。「命令を守る」というと、いやいやながら従う、というニュアンスがありますが、ここではそういう意味ではありません。
I desire to do your will, O my God; (Psalm 40:8)

わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。(詩篇40:8)

"desire"は、強く望むことを意味します。"will"は「意志」と訳されることが多いですが、かなり強い決意を表します。ですから、「みこころ」は神が決めておられることで、それを行うことを強く望む、ということになります。つまり、神が決めておられること、神の命令にいやいや従うのでは決してなく、神が決めておられることを実行することを強く望むこと、「みこころを行うことを喜びと」することが、「神を愛する」ということだと思います。

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【2007/04/05 22:22】 | マタイの福音書 | トラックバック(0) | コメント(1)
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英語と日本語で聖書を読む


英語の聖書と日本語の聖書(新改訳)の両方について、私なりに理解したことや、聖句によって教えられたことなどを書いていくつもりです。読者の皆さんにとっては、英語の勉強にもなると思います。

プロフィール

crape myrtle

Author:crape myrtle
企業の英語研修や、成人対象の英会話クラスなどの講師をしています。2006年の4月から本格的に聖書を読み始めました。聖書は英語で読んだほうが日本語で読むよりも理解しやすい場合が多いような気がします。

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